大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 昭和57年(行コ)1号

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人が控訴人に対してなした昭和四九年一〇月二五日付労働者災害補償保険法による遺族補償金及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張及び立証は、次に付加するほか原判決事実摘示の通りであるから、これを引用する(但し原判決八枚目裏終りより二行目に「二三日」とあるのを「二五日」と訂正する。)。

(控訴人)

一  亡福角裕行(以下「亡裕行」という。)は昭和二七年、当時勤務していた石原産業株式会社紀州鉱業所で珪肺症に罹患し、同三七年一月一五日、旧じん肺法のじん肺管理区分「管理四」と認定され、爾来休業して療養生活を送っていたものであるが、同四九年八月一六日の死亡時には同人の珪肺症は進行・増悪が著しく、肺は末期像を想定させる荒蕪肺になっており、まさに重症であった。即ち、右死亡の頃、亡裕行は、呼吸困難が激しく、少し動いても息が荒らくなり、寝返りをうつだけでも息が乱れる状態で、最後には酸素吸入によって辛うじて呼吸を保っていた。右は珪肺症の患者の死亡する場合の典型的な経過である。

以上の通りであるから、亡裕行は、他に合併症があったとしても、重症となった珪肺症に起因する呼吸不全によって死亡したと認定されるべきである。

仮に、医学的には亡裕行が珪肺症のみで死亡したと認定し難いとしても、同人の珪肺症は右の通り極めて重篤な状態にあり、その為体力が著しく低下していたところへ、胃がん又は胃潰瘍及びそれに伴う消化管出血という合併症を併発し、これが、最後の一線を辛うじて保っていた同人の生命を奪う引金となったものである。してみれば、珪肺症が死に大きな役割を果たしたものというべきであるから、法律的には亡裕行の死因は珪肺症と評価されるべきである。

二  更に亡裕行の死が珪肺症によるものとは言えないとしても、本件において胃がん又は胃潰瘍の合併症の救命措置ないしは根治手術がとられなかったのは、同人の珪肺症が理由であったのであるから、同人の死は業務上の事由によるものである。

この点、昭和四九年七月当時、亡裕行は極度の栄養失調と貧血のため、たとえ珪肺症に罹患していなくても外科手術に耐ええない様な状況にあったから手術が行われなかったと認定するのは誤りであり、担当医師が亡裕行の珪肺症を理由に手術をためらっているうち貧血が進行し、亡裕行は死を迎えたというのが真相である。貧血は止血のための外科手術の適応にこそなれ、手術を回避する理由とはなし難い。

三  仮に亡裕行の死因が胃がんないし胃潰瘍であったとしても、右胃がん等と珪肺症との因果関係については、一般に法律上因果関係があると認められる為には、経験則上事実と結果との間に蓋然性があるとの証明で足り、又右証明は通常人が疑いをさしはさまぬ程度に真実性の確信を持ちうることで足るというべきところ、珪肺症と胃がん等との間には病理学的にみて少なくとも何らかの関連性があることは明らかであり、又疫学的にも因果関係は推認しうるのであるから、本件についても、原審以来主張しているように珪肺症と胃がんないし胃潰瘍との間に因果関係を認めるべきである。

なお、仮に右因果関係が認められない場合でも、珪肺症のみで死亡した者との権衡上、控訴人に対し遺族補償金等を支給すべきこと既述(原判決事実摘示)のとおりである。

(被控訴人の主張)

控訴人の右各主張はすべて争う。

(新たな証拠)

当審記録中の証拠目録記載の通り。

理由

当裁判所も控訴人の本訴請求は失当と認めるものであって、その理由は次に付加訂正するほか原判決理由説示の通りであるから、これを引用する。

一  原判決一三枚目表末行「胃上部」とある部分以下、同裏末行まで〔労判三八〇号41頁3段14行目~30行目〕を次の通り改める。

主治医である高山医師は、胃潰瘍を疑ったが、一方胃上部まで硬化しているためがんも否定出来ないと考え、更に同月六日、ファイバースコープによる胃検査を実施したが、右ファイバースコープは四二センチメートル位(食道下端付近まで)しか挿入できず、しかも右スコープの先端にコーヒー残渣様液が付着して来たので、亡裕行がむしろ胃がんに罹患している可能性が高いと診断した。そうして右高山医師は、X線による所見と右の様なファイバースコープの検査結果から、既に根治手術ができない可能性が高いばかりでなく、当時亡裕行の体力が著しく衰えている状況に照らし、開腹手術による侵襲を虞れて外科手術を実施せず補液と輸血を続けた。しかしながら、亡裕行は昭和四九年八月一六日死亡したが、高山医師は最終的に死亡原因は胃がんと診断した。尚、亡裕行の死体は解剖されなかった。

二  死因は珪肺症による呼吸不全であるとの控訴人の主張について

当審における鑑定人島正吾の鑑定結果及び同人の証言並びに当審における控訴本人の供述によれば、亡裕行の珪肺症は漸次悪化し、同人は昭和四八年頃からはそれまでしていた畑の見回りも出来なくなり、通院してもあえぎながら帰宅し、出かけない日も横になっている事が多くなったが、控訴人が入院を勧めても畳の上で死にたいと頑強に入院を拒んでいたこと、死亡当時の亡裕行の肺は、じん肺性の病変の末期像を想定せしめるように全肺葉が萎縮し、高度の繊維化、気腫化を伴った荒蕪肺となり、珪肺症の経過及び病状の程度は重症であったことが認められる。しかしながら、記録を検討しても、すすんで亡裕行が珪肺症による呼吸不全そのものによって死亡したこと、ないしは合併症が引金となったとはいえ法的には珪肺症によって死亡したと評価すべきことを認めるに足る証拠は見出し難い。かえって、前記鑑定結果及び証人の証言によれば、本件に関し、珪肺症が、新宮市立市民病院に入院した当時の亡裕行の健康状態に少なからず不利な条件を与えることで間接的に死に影響を与えた可能性は考えられても、右はあくまで一般的な推論に過ぎず、同人の死亡は胃潰瘍ないしは胃がんによる消化器症状であったことが認められる(なお亡裕行が胃がんで死亡したことは一応当事者間に争いがないけれども、右は、弁論の全趣旨によれば死亡診断書上の最終的な死因が胃がんであることについての趣旨であると解される。)。よって、この点の控訴人の主張は採用することができない。

三  外科手術を回避したことに関連する控訴人の主張について

控訴人は、高山医師が昭和四九年七月六日亡裕行の外科手術を躊躇したのは珪肺症が理由であり、従って結局同症状が亡裕行の死を招いたというべきであると主張するけれども、この点の控訴人の主張に添う証拠は、甲第二号証中の調査官山口冨次郎及び労働事務官豊内明憲作成の遺族葬祭補償給付実施調査復命書中の記載以外にないところ、右復命書中の記載は、原審証人高山之男及び同千代谷慶三の各証言に照らし、たやすく措信し難いところであって、即ち、高山医師は先に認定した通り、当時の亡裕行の胃がんの状態は根治手術によって治癒出来る可能性が極めて薄いと判断し、そのうえ同人が極度の栄養失調であった為手術による侵襲によって死亡するのを虞れて、これを回避したもので、かかる判断は、原審証人千代谷慶三の証言によっても十分肯認されるところである。

控訴人は、当時亡裕行は外科手術に耐ええない状況ではなかったと主張するけれども、成立に争いのない(証拠略)及び原審証人高山之男の証言によれば、石原産業株式会社紀州診療所入院当初から、亡裕行は急速な体重の減少、流動食さえ十分とれない絶食に近い食欲不振、吐血に先立って下血もあり、新宮市立市民病院へ転院後も高山医師の処方した止血剤、潰瘍治癒剤、各種の栄養剤及び輸血、補液は何ら効を奏せず、急速に赤血球が減少して体力を消耗させていった事実が認められ、かかる事実に照らしても、控訴人の前記主張はたやすく採用し難い。

又、控訴人は外科手術による止血を云々するけれども、先に認定した通りファイバースコープも入らず出血箇所さえ判明させえない病状に照らせば、かかる方法を検討する余地はないものというべく、控訴人の右主張に添うかの如き当審証人島正吾の証言部分は、仔細に検討すれば外科手術の危険を別にすることを前提にしてなされているものであるから、右をもって控訴人の主張を裏付ける確証とはなし難い。

以上の通りであるから、この点の控訴人の主張も採用することができない。

四  珪肺症と胃がんとの因果関係等について

控訴人は、仮に珪肺症が亡裕行の死と直接の因果関係を有せず、且つ亡裕行の死因が胃がんないし胃潰瘍であったとしても、右胃がん等は珪肺症と相当因果関係にあり、然らずとしても公平の観点より本件不支給処分は取消されるべきであると主張するが、右各主張を認め難いことについては先に引用した原判決説示のとおりであるから、これを採用することができない。

五  結び

以上の次第であるから、控訴人の本訴請求は理由がないと言わざるをえず、これを棄却した原判決は相当である。よって、本件控訴を失当として棄却することとし、控訴費用の負担につき行訴法七条、民訴法九五条、八九条を適用して、主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 小谷卓男 裁判官 海老澤美廣 裁判官 笹本淳子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!